私は水俣病について名前と原因を少しだけ知っているくらいでした。
けど、この前の授業で見たビデオは私にとって衝撃的でした・・・
チッソは1932年からアセトアルデヒドの生産を始め、
1968年5月の生産停止までメチル水銀を含んだ廃水を
無処理で水俣湾に流し続けた。
1958-1959年、この間不知火海一帯に汚染が拡大し、
水俣川の河口では魚が大量に浮かび、御所浦では
ネコが狂死した。
1890年水俣村立避病院が柵で区切られた場所に開設された。
水俣病が多発したとき、伝染病同様の措置がとられ
周囲の人々に「水俣病はうつる」と印象付けたのである。
「水俣病差別」はここから始まりました。
現在までに1400人以上が認定申請して、認定されたのは
わずか50にんあまりでしかない。
そのために被害者の会や水俣病患者連合など患者の
未認定運動はさかんであった。
ー水俣学ブックレットー
水俣を歩き、ミナマタに学ぶ
熊本学園大学水俣学研究センター編著
より抜粋。
私は水俣病について少しの情報にしか触れていないので
あまり自分の意見を言うことは難しいですが、
たくさんの人が苦しんだこは間違いないと思う。
50年も前のことなので今チッソを責めることは
間違っていると思うけど、水俣病と認定された患者さんたちの
ケアはしっかりして欲しいと思った。
今度水俣に行ってもっと勉強すると思うけど、
きっと私にとって忘れられない経験になると思う。
Good work! What you wrote about Chisso is important I think. I think blaming Chisso is a way for the government to avoid taking the blame.
返信削除Your citation is not complete. I'll try to explain in class.